VOL.1
大石友子教授が聞く
(株)千趣会・行待裕弘(ゆきまちやすひろ)代表取締役社長
時代の流れを読み、それに乗るアイデアを考えることが大切
取材協力・㈱千趣会
(株)千趣会
1955年創業の、通信販売の最大手企業。『ベルメゾン』ブランドで知られる。カタログ、頒布会、インターネット、さらには新しい形のテレビ通販など様々な手法に取り組み、販売アイテムは20万種以上。本社は大阪市。従業員数: 1082名. 資本金: 203億円. 売上高: 1481億円(2006年12月)
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行待裕弘(ゆきまち やすひろ)氏
㈱千趣会代表取締役社長。同社創立以来、50年以上取締役として活躍。
1932年京都市生まれ。 |
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トイレ掃除も取締役の仕事だった?
- 大石
- ㈱千趣会は、日本有数の通信販売の大手企業です。昨年、創業50周年を迎えられた会社ですが、会社創設の頃から中心メンバーとしてご活躍されてきた行待社長に、創業のお話、通信販売という業種への着目と、数々のヒット商品を世に出された背景、さらに若い頃の学び方、そして今の若い人たちへのメッセージをおうかがいしたいと思っています。よろしくお願いします。
- 行待
- こちらこそ、よろしくお願いします。
- 大石
- さっそくですが、行待社長の10代についておうかがいしたいのですが。
- 行待
- 私が京都の中学に入った頃は、戦争の真っ最中でした。もう物も無くて、大変な時代だったですけど、元気でしたね。野球ばかりしていました。京都商業(今の京都学園高校)から巨人に入った沢村栄治投手なんかがあこがれで。靴もないのでハダシでグランドを駈けまわっていました。
- 大石
- 中学で終戦を迎えられたわけですね。
- 行待
- そうです。家は京都で呉服商を営んでいたのですが、父は早くに亡くなり、家の蔵にあった骨董などを切り売りしていました。叔父が米軍につてがあって、壷やなんかと小麦粉などを物々交換してもらって、それで生きていたようなもんです。まあ時代が時代でしたから・・。僕は高校受験をしていないんですよ。中学がある日突然、高校になって。そんな時代でしたから、まず生きていくのに必死でしたね。
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- 大石
- 高校を卒業されてからは?
- 行待
- その叔父がやっていたゴムの会社に入りました。最初の半年は山梨県の甲府の店と工場で。それから大阪の支店、支店といっても支店長と、僕と、高井さんの3人です。
- 大石
- 高井さんとは、千趣会の創業者になられた高井恒昌さんですね。
- 行待
- そうです。そこで僕は、自転車のタイヤとチューブを売って回ってました。それがきつい。まだ10代の若造でしょう?自転車屋さんのご主人に、いいようにあしらわれてました。大阪ですから値段の交渉なんかも厳しい。これは、僕には向かないなあ、と思っていた矢先に、叔父のゴム会社の工場が火事で消失してしまって、大阪の支店を閉鎖するということになって、東京へ来ないかと云われたのですがこっちで頑張るから、と云って、他の商売を考えたわけです。それが職場への頒布会(はんぷかい――毎月、いろいろな商品が届くというもの)でした。
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- 大石
- そこで伝説の商品となる『こけし』が生まれるわけですね。
- 行待
- 働く女性が、ささやかなお金で部屋に飾れるものを、と考えたのがこけしでした。それも伝統的な民芸品だけではなく、東京芸大の学生さんなんかから可愛いデザインを募集して、それを職人さんに作ってもらう。これが売れました。デザインをどう製品にするか、ということをこの仕事で学びましたね。次に料理のレシピを集めたクックカードが成功して、千趣会がなんとかやっていけるかなあ、と。
- 大石
- 千趣会の創設が1950年、もう行待さんは最初から経営者だったわけですよね。
- 行待
- ちっちゃい会社ですから、取締役なんて言ってもなんでもしなあきません(笑)。それこそトイレ掃除までやりましたよ。もちろん、営業にも出ます。でも自転車屋のオヤジさんたちと違って、女性が相手なんで楽しかったかな。
動く、考える、工夫する、その積み重ねが大切
- 大石
- 千趣会は現在も主な顧客は女性です。また社内でも女子社員が元気に働いておられます。行待さんはどういう女性観をお持ちですか?
- 行待
- 昔は美化していました〈笑〉。ある日、会社で女性の幹部社員が後輩の女性を叱っているのを聞いて、「ああ、仕事では男も女も関係ない、同じだな」と思ってからは楽になりましたね。もちろんお客様のことを知るために、女性の行動学や心理など勉強はしましたが、僕は女性というより人間観察が好きなんですね。ことに結婚して、子育てをしているうちに、子どもからずいぶん学んだように思います。
- 大石
- お忙しい時期だったでしょうけど、子育てを手伝われたんですか?
- 行待
- 27歳で結婚、確かに仕事は忙しい時期でしたが、僕は女房には絶対に苦労をさせない、と誓ったんですよ。家では酒も飲まないし、できるかぎり家事も手伝いました。
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- 大石
- 行待さん、本当に人にやさしいですよね。奥様だけでなく、社員のみなさんにもやさしい気がします。待遇面は業界でもトップとうかがいましたが。
- 行待
- 僕は業界、という考え方は嫌いで、千趣会は通販とかの枠にこだわる必要はないと思っているんですが。それはさておき、やっぱり給料は高いほうがいいじゃないですか〈笑〉。それでやる気が出て、働くことが楽しくなってくれれば一番です。ただ最近はちょっと千趣会も、大企業病と言うか、全体におとなしくなってきた気がします。
- 大石
- それは若い社員の方が、と言うことですか。
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- 行待
- 全体的に、ですが、若手は特におとなしいかもしれないですね。僕は人事に「優等生ばかり採るな」と言ってるんですが〈笑〉。若いときは結果をおそれず、何事にもがむしゃらに向かっていく、それが経験になり、個人個人の個性を作ってくれる。今の学生さんが「自分探し」なんて言っているのを聞くと、明らかに間違ってると思いますね。沢山の経験を積み重ねてようやく自分が見えてくるのは30過ぎてからですよ。
- 大石
- 厳しいご意見ですが、社員には何を一番、求められますか?
- 行待
- まず考える、工夫する、学ぶということの大切さを知ってほしいです。僕も企画力を磨くために講座に通ったりもしました。それから時代のうねりを見る。好奇心を旺盛にして、新しいものをどんどん試してみる。千趣会はインターネット市場で強いのですが、どこよりも早くコンピュータネットに取り組みました。カタログでも、印刷工程のコンピュータ処理化も非常に早かったですね。
- 大石
- その指示も行待さんがされたわけですよね。感覚の若さに驚かされます。
- 行待
- 産業革命以後の技術革新は、50年ごとに大変革、というペースだったわけです。それが今では3年でころっと変わる。大変ですけど、面白いですよ。やりたいことが次々に出てくる。死ぬまで満足することなく、新しいことに挑むでしょうね。
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- 大石
- あと千趣会の場合、ただ会社が儲かればよい、というだけでなく、植林事業など社会貢献活動も積極的になさっていますよね。これはどういう理由からですか?
- 行待
- いや、会社は儲かってもらわないと困ります。悪いことまでして儲けようとは思いませんけど〈笑〉。今は幸い、利益が残せているので、ささやかな活動ができるというだけで。植林については、カタログで大量の紙を消費しているわけですから、その還元をきちんとしないと、と。ただ資源を消費するだけでなく、増やすつとめをするのは企業の責任だ、と思います。また、こうしたことで企業文化が生まれれば、とも考えています。普通の会社じゃ面白くない。千趣会だからこそのデザイン、面白い商品、楽しいシステム等を生み出すためにも、独自の企業文化が必要なのではないでしょうか。
- 大石
- 千趣会の社員はファッションセンスのいい人が多いように思いますが、これも1つの企業文化ですね。デザインや質へのこだわり、というのは、行待さんが育った京都の影響もあるのでしょうか?
- 行待
- 僕は京都は遊びに行くところで、住むところではないと思っていますが〈笑〉。ただ呉服屋に生まれて、骨董品をあきずに見て育ちましたから、その影響はあるかもしれません。それと、京都は古い商店が多くてしきたりがたくさんあります。それがかえって、新しいものを創り出そうというパワーの源になっていると感じます。京都はそういう会社が多いですよね。
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- 大石
- 確かにそうですね。では最後に、若い人にメッセージをお願いしたいのですが。
- 行待
- 私の若い頃は、本当に生きていくのに必死で、仕事が辛いとか思う暇もなかった。5年先、10年先を考える余裕もありませんでした。でも、それで良かったと思います。自分のことばかり考えていたら、チャンスをつかみそこねますよ。まず今の課題をどうこなすか、考え抜いて、アイデアを生み出しアクションをおこすことですね。今は起業もしやすい時代、失敗をおそれず立ち向かって欲しいですね。
- 大石
- わかりました。今日は短い時間でしたが、20代で、今で言うベンチャー企業を立ち上げられ、50年でトップ企業に成長させられた理由が少し理解できたように思います。今日はありがとうございました。
- 行待
- こちらこそ、ありがとうございました。
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