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山本淳子教授にインタビュー「枕草子のひみつ」

山本淳子教授にインタビュー「枕草子のひみつ」

京都新聞連載中の山本淳子教授(日本語日本文化専攻)にインタビュー「枕草子のひみつ」

2010年4月より京都新聞に「枕草子はおもしろい」(毎週日曜)を連載中の山本淳子教授(人間文化学部)。特別インタビューにて「枕草子のひみつ」を教えていただきました。「ひみつ」を知って枕草子を読むと新たな発見と感動が得られることでしょう。*連載は2010年9月で終了(このインタビューは2010年7月に行われました)

――枕草子は最もよく知られた古典の一つかと思うのですが、どこに「ひみつ」があるのでしょうか?

枕草子というと、のほほんとして明るいとか、清少納言の自慢話が書かれているといったイメージがありますよね。ところが、実は、枕草子は清少納言が大変な窮地に陥っていたときに書かれた作品なのです。枕草子自体からはほとんど読み取れませんが、歴史資料と付き合わせると見えてくることです。

枕草子は二段階にわかれて書かれました。最初は、清少納言が自宅で「引きこもり状態」にあったとき、次は、中宮定子が亡くなって彼女が「失業状態」にあったときです。ですから、枕草子に書かれていて清少納言の自慢話のように見えることは、みなすべて、喪われた過去の出来事。また清少納言はそれを、輝いていた定子後宮の思い出の記として、感謝をこめて書いたのです。

――清少納言の「引きこもり」とはどんな状態だったのですか?

清少納言は一条天皇のお后である中宮定子にお仕えしていました。その頃、定子の父は関白という最高権力者の地位にあり、実家は繁栄を極めていました。日本でもっとも華やかで身分の高い女性のところに清少納言は憧れをいだきつつ就職したわけです。ところが、2年後の995 年、定子の父が亡くなり、政権交代して藤原道長の時代となります。さらに翌年には、兄と弟が暴力事件を起こし、流罪の刑に処せられます。一家が没落するなか、絶望した中宮定子は髪を切って尼になり、天皇と離別してしまいます。

このとき、清少納言は政敵の藤原道長派に寝返ったのではないかという疑惑をかけられるのです。女房たちからのけ者にされ、いじめを受けて傷ついた清少納言は自宅に帰って、ひきこもってしまいます。しかし、そのことを愚痴のようには書いていないんですね。むしろ、そんな中でも定子が自分を信頼してくれたことを、話題の中心にしています。
枕草子には、当時の華やかな最先端のセンスがちりばめられています。意気消沈していた定子たちは、清少納言が「ひきこもり土産」のように持ち帰ったこの楽しい読み物に癒されたことでしょう。またそれとともに、そこに描かれた自分たちの世界やセンスの良さを再確認して、プライドを取り戻したのではないかと思います。

――苦境のなかで書かれたというのに、文章は明るくてユーモアがありますね。

それには理由があるようです。
たとえば、さきほどの職場復帰のエピソードを見てみましょう。ある日、自宅に引きこもっている清少納言のもとに定子から謎かけの手紙が届きました。紙には文字はなく、山吹の花びらが一重包んでありました。当時、山吹色はクチナシを染料に染めたので、この花びらは「口無し」の意味、「あなたは周囲から疑われているけれども、反論できず黙って口なしなのね」という暗号です。
また、はなびらには小さな文字で「言はで思ふぞ」と、歌の一節が書かれていました。これは、古今和歌集の「心には下ゆく水のわきかへり 言はで思ふぞ」という紀貫之の恋歌からとられたもの。「心に秘めた想いは、軽々しく口にするより、ずっと深く激しい」という意味の歌です。つまり中宮定子は、「周囲にはいろいろな噂を立てる人がいるけれども、あなたは反論できずに黙っていますね。でも、心の中で私を思ってくれているあなたの忠誠心の方がずっと強いことを私には分かっていますよ」ということを、この謎かけによって伝えたのです。清少納言は天にも昇る気持ちになり、復職を決意します。この部分(137 段)はそんな嬉しい記憶として書かれているのです。
おそらく清少納言は、悲しく亡くなってしまった定子を、悲劇の主人公として描くのではなく、聡明で華やかだった人として後世に伝えたかったのでしょう。だから悲しい出来事についても、明るい面ばかりを取り上げて描いたのでしょう。それで読んだ人に「のほほんとしている」とか「明るい」と言われるのは、彼女にとって望むところなのです。
でも、本当はつらかったと思いますね。つらかったことは秘密にして、つらかったなかの楽しかったことだけ書く、というのが枕草子のスタンス。実は泣かせるんですね(笑)。

――第二段階は「失業状態」で書かれたということですが。

尼になった定子はしばらくは静かな生活を送っていたのですが、一条天皇は彼女のことがあきらめられず、996 年に復縁します。それは天皇の愛情によるものだったのですが、後継ぎが必要だという天皇ならではの事情もありました。やがて男の子が生まれますが、そのせいで定子は藤原道長や貴族から白眼視され、露骨ないじめを受けることになります。3人の子どもを産んだ後、定子は力尽きるように24 歳で亡くなってしまいます。
職場を失った清少納言はふたたび実家に戻ります。この長い失業期間に第二期の枕草子の執筆に取りかかります。宮仕えを始めたときは新米で半泣きだったけれど、定子さまが大変優しくしてくださった話(177 段「宮にはじめてまゐりたるころ」)や、定子の兄・伊周がさっそうとしていた頃、天皇や中宮と夜を徹して親しく語りあった話(293 段「大納言殿まゐりたまひて」)などが、その頃書かれた章段です。こういう話は、字面だけを読むと、お金も地位もある貴族が、能天気におもしろおかしく過ごしているだけに思えるかもしれません。でも、枕草子のひみつを知って読むと全然違うわけです。定子様は亡くなり、あの華やかな時代はもう二度と帰ってこない。そんななかで清少納言が書いているのは、定子様がほめてくれたとか、定子様と深く心がつながっていたという思い出なんですね。最近の研究では、枕草子は没落した定子の一家を鎮魂するために書かれたのではないかという仮説も出されています。

――先生は、京都府の『マンガ 枕草子』の制作に協力され、この冊子を大学の授業でもお使いになっていらっしゃいますね。

はい。この冊子は、京都府文化環境部文化芸術室が、「子どもたちに古典の魅力を伝えたい」というねらいで制作したものです。清少納言ちゃんというキャラクターが、現代の小学生ふたりを千年前の京の都に連れていってくれるという設定です。彼らは枕草子に描かれた世界を体験し、そこに自然や人の真心を豊かに感じつつ生きる暮らしがあったことを知ります。物語は「ずっとずっとこの都が美しいまま、受け継がれていきますように」という言葉で閉じられています。悲しい陰など微塵もありません。清少納言たちの洗練されたセンスやものの感じ方が、明るいイメージのもとで古典のお手本として継承されていく。それはまさに清少納言が望んだことでしょうね。
大学の「日本の文学」の授業では、枕草子のひみつを説明した後に、このマンガを読みました。学生たちの感想は二つ。「自分たちも、以前には明るいイメージで読んでいたし、それを小学生に伝えるのはとてもよいことだ」。しかし、「ひみつを知った以上は、前とは違う」と。枕草子の美しさに加え、その奥行きを知って、一条天皇、定子、清少納言といった登場人物が、本当に生きて、泣いて笑っていたのだと、感じられるようになったと言います。千年の時を超えて今に通じる人の想いに触れる、その喜びこそが古典のだいご味。そうやって古典をいっそう深く学んでくれるのはとても嬉しいことですね。(聞き手 岡崎宏樹:人間文化学部准教授)

2010/8/01 人間文化学部

山本淳子教授にインタビュー「枕草子のひみつ」

山本 淳子

京都学園大学人間文化学部教授(歴史民俗・日本語日本文化学科 日本語日本文化専攻)。金沢市生まれ。京都大学博士(人間・環境学)。『源氏物語の時代-一条天皇と后たちのものがたり 』(朝日新聞社、2007)にてサントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞。著作は他に『紫式部集論』(和泉書院、2005)、林真理子氏との共著『誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ』(小学館、2008)など。2010 年4 月から9月まで京都新聞に「枕草子はおもしろい」を連載。

 
 

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