
もともと、京都学園は京都市内で創建された学校である。京都商業高等学校(京商)は野球で有名だったが、京都の企業で働いている卒業生の層は厚い。大学創設の時に京都郊外の亀岡に校地を定めた。江戸時代、心学を創始した石田梅岩[注]の生家近くである。梅岩は、商人が商いで利潤を得ることは正当なことだと説いたので、士農工商の身分制度で低く扱われた商人も、初めて商いという仕事に誇りを持つことができるようになったのだ。本学は京商から発展し最初に経済学部ができたので、梅岩や心学には親しみ深いものがあった。文系4学部、理系1学部の中堅大学に成長した現在も、そのことを忘れてはいない。今回京町家キャンパスを、心学の塾・明倫舎ゆかりの明倫学区に置いたのも、その縁に引かれてといえるかもしれない。
学園創立者の辻本光楠は教育理念の柱に日本人らしさを身につけることをうたっている。日本人ならば、千年の都・京都に学びたいという人の気持ちは昔も今も同じである。とくに明倫学区は四条烏丸近くの会社や銀行が並んでいる一画で、古都の都心、大阪への窓口、大量のサラリーマンやOLが通勤してくる地域である。もちろん交通は至便、大丸デパートへは徒歩5分の距離。歓楽街からは少し距離があって町中にしては夜が静かだ。このあたりには松阪屋や新町三井を始め大企業のスタート地点が多いが、他都市へ発展しても創業の地を大切にする傾向は変わらない。
注]石田梅岩(いしだばいがん):
1685〜1744年。江戸時代の思想家・倫理学者。石門心学の開祖。丹波国桑田郡東懸村(現・京都府亀岡市)出身。45歳で「石門心学」と呼ばれる思想を唱える。長年の商家勤めにより、「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に決して劣るものではない」と説いて商人たちの支持を集め、京都呉服商人・手島堵庵らの門下生を輩出した。

キャンパスに店舗にあたる表屋部分を提供してくださっている小島邸は新町通りに面した町家で、間口は6間(約11メートル)あり、奥行きはなんとその約5倍の60メートルという壮大さである。今回京都市の支援もあって復元された小島邸から4軒北には、徳川家康と深いつながりのあった大商人・茶屋四郎次郎の屋敷跡がある。西へ200メートルも歩けば、織田信長が討たれた本能寺跡なのだから、歴史ファンにはしびれるような立地であろう。町家キャンパスの床下を掘れば、本能寺の焼け瓦やとびきり高価な茶碗が出てくるかも知れないのだ。この町内は南観音山という祇園祭の山鉾を所有する。授業では「フィールドワーク京都」「まちなかコミュニティ研究」など、体験型の科目がある一方、「日本の文化」「漢文入門」「京都の文学」といった町家の雰囲気に似合った科目も開講している。