京都学園大学

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Department歴史文化学科

歴史を読む、それは「こころ」を蘇らせること。

更新日:2015年9月8日(火)
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歴史を読む、それは「こころ」を蘇らせること。

ほんとうにあった『源氏物語』

『源氏物語』と言えば、古典の名作。しかし、その内容はすべて架空のことだと思っている方が大半でしょう。しかし、そうではありません。『源氏物語』は当時の歴史的事実そのものと、二つの接点においてつながっているのです。

 

先ず、一つ目の接点を説明しましょう。紫式部によって『源氏物語』が生み出される直前、世はこの物語に酷似した事件を体験していました。何人ものきさきが居並ぶなか、父を亡くし実家も没落して権力など無いに等しい一人のきさきを、帝が一筋に愛したのです。

二人の間には一人の皇子を含め三人の子が生まれましたが、貴族たち、なかでも最高権力者であった藤原道長から激しいいじめをうけ、きさきはわずか24歳の若さで死んでしまいました。『源氏物語』の冒頭で、光源氏の父である桐壷帝が、そう高い身分でもないきさきであった光源氏の母・桐壷更衣を心から愛したこと、やがて二人の間に皇子が生まれたこと、しかし他のきさきや貴族たちからの白眼視の中、更衣が若くして死んでしまうことは、この歴史的事実と重なります。

時代の記憶

この、桐壷帝と更衣に似た実在の二人とは、時の今上天皇・一条天皇と、その皇后だった定子です。定子は清少納言の『枕草子』にも登場する知性と優しさにあふれるきさきですが、関白だった父が亡くなり、兄弟が罪を犯して流刑になってからは、後ろ盾を亡くしていました。それでも定子を寵愛する一条天皇に貴族たちは批判の声を浴びせました。

 

が、定子が亡くなると、世の態度は一変しました。定子をいじめていた藤原道長は怨霊の恐怖におののき、冷淡だった貴族たちは定子への同情を口にし始め、若者たちは定子の後を追って出家騒動を起こしました。定子の事件は、この時代の人々の記憶に刻まれる歴史的事件だったのです。

『源氏物語』の誕生

さて、この事件からたった五カ月後、紫式部は夫に死なれました。新婚わずか三年目、一人の女の子を授かっていましたが、彼はおそらく疫病により急死してしまったのです。悲しみに暮れ、何も手につかない日々を彼女は過ごします。が、やがてその絶望から立ち上がる時、支えとなったのが物語でした。後年、紫式部自身が『紫式部日記』に記していることです。おそらくこの時、『源氏物語』が書き始められたと、研究者たちは考えています。

作者の思い

紫式部は『源氏物語』に、自分が見聞きした一条天皇と定子の事件を取り入れた。私はそう考えています。なぜそうしたのでしょうか。それは紫式部が、人の「こころ」を見つめようとしたからにほかなりません。一条天皇は定子を強く愛していたからこそ、定子を喪って深く傷つきました。そのことは紫式部も同じです。愛とは喜びではなく、人を苦しめるものでもあるのです。

しかし人は懲りもせず、人を愛することをやめません。人とはなんと愚かなものなのでしょうか。紫式部は、時代が体験した愛の悲劇に自分が体験した愛の思いを重ねて、愚かなまでに儚く哀しい人の「こころ」を描こうとしたのです。

権力との出会い

この『源氏物語』は、やがて時の最高権力者・藤原道長の目に留まり、紫式部は彼の娘で一条天皇のきさきである彰子のもとに仕えることになります。定子の悲劇に始まる『源氏物語』を味方に取り込んで天皇の心を癒そうと道長は考えたのでしょう。

彼の後援を得て、『源氏物語』は壮大な政治小説へと育っていきます。悲劇の両親の間に生まれ、帝の子ながら即位の道を奪われた光源氏は、紆余曲折を経ながらも政治家として頂点を極めることになるのです。その先には、一度は外されたはずの皇族にもどり、なんと「上皇」に准ずる位を得ることになるという栄光のゴールさえ用意されました。政治家・光源氏の催す数々の宮廷行事場面には、紫式部が道長と彰子のもとで垣間見たものが活かされています。

皇統の行方

『源氏物語』が書かれる一方で、現実世界の一条天皇の後継者選びも緊迫の度を高めていきました。第一の候補は、定子の遺した長男・敦康親王です。定子は零落したといえども皇后、つまり最高位のきさきでした。「長男」と「皇后の皇子」という二つの条件を兼ね備えて皇位につかなかった親王は、平安時代、少なくともこの時までは存在しません。しかし彰子にも、敦成・敦良という二人の男子がおり、こちらは最高権力者・藤原道長という後ろ盾を備えているのです。

 

天皇は、長男・敦康を後継にしたいと考えていました。しかしそれで敦康は幸せになれるのか。道長の敵視に遭い、何が起こらないとも分からない。側近はそう進言します。このとき一条天皇は、まさに『源氏物語』の桐壷帝と同じ道、つまり愛する息子を思うからこそ息子を天皇にしないという道を選択するのでした。これが、『源氏物語』と歴史的事実との二つ目の接点です。『源氏物語』のリアリズムがどれほどリアルなものであるか、現実の天皇が物語と同じ行動をとったことで、それが証明されたのです。

歴史と文学

『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』 『私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り』

『源氏物語』の研究を、私は三本の柱によって進めています。それらは、一条天皇の時代(986~1011)を今に記しとどめる『御堂関白記』などの歴史資料と、『枕草子』『紫式部日記』などの実録系文学作品と、そして歴史学と文学の研究成果です。三者を組み合わせて、千年前の当時を目の前に見るように復原する作業に日々没頭しています。

一条天皇・藤原道長を始めとして総勢100名あまりの人物が織り成すその歴史群像を、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』という書物に著しました。またその後、紫式部ひとりに視点を定めて『私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り』という書物に著しました。

何よりも大切にしていることは、資料たちの「こころ」を汲み取ることです。また、資料から浮かび上がってくる一人一人の「こころ」に自分の心を致すことです。そのようにして、千年前の人々の「こころ」を今に蘇らせたいのです。

山本 淳子 教授
日本文学(平安文学)専攻。「日本文学概論」「日本の文学」などの授業を担当。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。著書『源氏物語の時代』でサントリー学芸賞受賞。ほかに『紫式部集論』『ビギナーズクラシックス日本の古典 紫式部日記』など。
山本 淳子 教授